拝金主義と偽装は結びつかない

なぜ偽装するのか。目の前の仕事でより多く儲けようという思いであろう。資本主義を拝金主義だと誤認している亡者どもであろう。

拝金主義と、偽装は結びつかないのでは?
目の前の仕事でより多く儲けようという考えと拝金主義も、また別なのでは?
と思いました。


よりいっそう金儲けがしたいのであれば、長期的に利益を得つづけたいと考えるはずで、正常な思考ができるのであれば、偽装という行為が無用なリスクしか生まないと分かると思います。
本当にお金というものを分かっていて大切にしている人が正常な思考を保っているうちは、そんな頭の悪い事はしません。


どちらかというと、偽装という行為は、切羽詰った状況で、無用なリスクである事も分かっているけれど、せめて今生き延びたい。という心理から来るものではないでしょうか?
ギャンブルをしていて、負けが越して、尚投資してしまう。
といった心理に似ていると思いました。


そういう意味では、恒常的に偽装をしないと赤字になるくらい廉価になってしまっている市場が存在していたわけで、既に構造が恒常的に正常ではなかったのですね。


何らかの効用をお金を使わないでなんとか得たい。つまり情だったりボランティアだったりを期待(時として強要)して、何とか利益を享受したい。という昔ながらの考えも、拝金主義だとは思いませんか?